ここにも! あそこにも!
「なるほど!」 がいっぱいの大阪中之島エリア。
建築史家の倉方先生を迎え、建築・土木・造園、それぞれの分野で学ぶ学生たちと、大阪の中之島をぶらりおさんぽ。大阪が誇る歴史的な建築物、構造物を巡る中で出会ったものは、たくさんの驚きと、街そのものを担う壮大な「建設の世界」でした。
写真協力:©(公財)大阪観光局
倉方 俊輔氏 建築史家 1971年東京都生まれ。建築史家。大阪市立大学大学院工学研究科准教授。著書に『大阪建築みる・あるく・かたる』、『吉阪隆正とル・コルビュジエ』など多数。『マツコの知らない世界』、『新美の巨人たち』ほか出演。建築公開イベント『生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪(イケフェス大阪)』実行委員などを務める。2017年日本建築学会賞(業績)、2018年日本建築学会教育賞(教育貢献)。修成建設専門学校の教育顧問。
寺田 奈由
建築CGデザイン学科
設計図を眺めている時間は、至福のひと時。インテリアにも強い建築士をめざして奮闘中。
小林 瑞季
土木工学科
土木の世界に魅了され続け、はや数年。夢は、土木施工管理技士として大活躍すること。
二宮 真悟
ガーデンデザイン学科
日本庭園についての知識なら誰にも負けない。「緑の力」で地球環境に貢献していきたい。
倉方:こんにちは。建築の歴史を研究している倉方です。今日はみなさんと、ここ中之島にある歴史的な建築物や構造物を一緒に見てまわります。それぞれの特徴やおもしろいところをどんどん説明しますので、気軽に質問してくださいね。私からもいっぱい質問しますよ!
学生三人:よろしくお願いします!
倉方:それでは早速、日本銀行大阪支店を見てみましょう!これは明治時代、今から100年以上前に建てられた建築物です。この建物の外観を見て、どう思いますか?
二宮:う~ん。古代ローマにありそうな設計ですね。
倉方:そうそう!では、どのようなところが古代ローマらしいと思いますか?
二宮:入口の柱ですかね?
倉方:おお!まさに、あの柱が古代ローマらしさを出しているんです。
寺田:「オーダー」ですよね。授業で習いました。ヨーロッパの古い建物に使われている柱のデザインです。
倉方:その通り。それで例えば、あの丸い柱を見てみると上と下で直径が少し違いますよね?では次の質問です。それはなぜでしょうか?
小林:少し柔らかな印象を受けます。それから、下から背が高く見えるとか。
倉方:だいたい、正解!真っ直ぐな円柱だと、どことなく頼りなくて無味乾燥な印象を受けますよね。でも、上と下の直径に差をつけることで、どっしりした印象を与えられて、さらに、親しみを持ってもらえると。では、オーダーは、元々、いつの時代から使われているものかご存じですか?
寺田:古代ギリシアで誕生して、その後、古代ローマに引き継がれたと習っています。
倉方:よくご存じ!さすが、建築CGデザイン学科!古代ローマの建築は、古代ギリシアから大きな影響を受けています。そこには深い歴史があって、古代ローマは約2000年前に始まり、その際に古代ギリシアの優れた芸術、哲学、そして、建築様式などを取り込みました。柱の上にある三角形もそうで、あれはペディメントと言って、古代ギリシアのパルテノン神殿に使われていたデザインなんですよ。
二宮:どうして、日本の銀行が西洋の建築様式を取り入れたのですか?
倉方:鋭いところを突きますね(笑)。実は、それが今回考える大切なことのひとつです。明治に入り日本が西洋化を進めていくにあたって、日本銀行のような国を代表する機関は、西洋の設計を取り入れた建築物にしないと、「先進国」と見なされなかったんです。
寺田:つまり、この建物は日本の豊かさや強さを海外に証明するものだったんですね。
二宮:確かに、もし、大名屋敷みたいだったら、違和感が…。だから、こういった西洋風の正統派な建築物を建てることが、海外からの信頼につながるんですね。
倉方:そう。なので、中途半端な建物を建てるわけにはいきませんよね。そこで、建築の専門教育を行う学校を初めて日本に設立して、その最初の卒業生がこの建物を設計しました。それが、日本の近代建築を代表する大建築家「辰野金吾」なんです。日本ではじめて建設分野の専門教育を受けた、つまり、みなさんの大先輩です。
日本銀行 大阪支店
明治36年(1903年)に竣工。美しい緑青のドーム屋根を持つ、石造2階建ての本格的な西洋建築。80年代に改築が行われたが、御堂筋から見える3面の外壁や屋根や内部の旧貴賓室、大階段などは保存され、現在でも当時のままの姿を残している。
明治36年(1903年)に竣工。美しい緑青のドーム屋根を持つ、石造2階建ての本格的な西洋建築。80年代に改築が行われたが、御堂筋から見える3面の外壁や屋根や内部の旧貴賓室、大階段などは保存され、現在でも当時のままの姿を残している。
小林:興味深いお話ですね!
倉方:それから、この建物は主に石が使われていますが、それまで日本の建築物は基本的に木造でした。そのため、建設に適した石が日本のどこにあって、どのように加工するのかを誰も知らなかった。そこで、日本中を調査して、加工する職人も育てて、ようやくこの建物が完成しました。つまり、日本銀行大阪支店の建設は、日本が先進国へ仲間入りするために、当時の技術を結集させた一大プロジェクトだったというわけです。
寺田:これからの日本のために、国を挙げて挑戦した人々のことを考えると、同じ国で、同じ道に進んだ者として誇らしく思いました。