倉方:さぁ、いよいよ土木の出番ですね!
小林:はい!ずっと楽しみにしていました(笑)。すごく立派な橋ですね~。
倉方:この難波橋は100年以上も前に架けられたもので、今の合理的な橋とは違った特徴がたくさんあります。こんなに装飾が豪華な橋は、全国でも大阪以外ではなかなか出会えません。
寺田:アーチがあって、どことなくオーダーのようなデザインで、それからペディメントもあって、さらにライオンも居て。すごい設計ですね。
倉方:そうですよね。パリやロンドンといったヨーロッパの街に行くと橋がすごく立派に装飾されています。日本もそれを参考にして、このような橋を架けたんです。理由はみなさん、お分かりですね?
二宮:さっきの日本銀行大阪支店や大阪市中央公会堂と同じ考え方で、「日本が一流の国であること」を証明したかったからですよね?
倉方:うんうん。
小林:それから先ほど倉方先生がおっしゃっていたように、大阪は船で移動することが多かったので、船からも立派に見えるデザインにしたんだと思います。
倉方:そう。難波橋にはそういう憩いの場としての機能もあったと思います。それと、先ほど小林さんがおっしゃった「船から見えることを配慮していた」ことについては、本当に鋭い考え方で、やはり、船から見た姿にも徹底的にこだわっていたことがわかります。
小林:土木の構造物は「街の顔」としての役割も担っていると。そして、その構造物が街の暮らしを支えているわけですね。
倉方:そうです!土木は建築よりもずっと長期的な考え方を持っていて、都市の基盤を支えていくために何百年も先を見据えている。それが、土木の素晴らしいところです。
小林:そうなんですよ!ずっと長く人の暮らしを支えていくところに、私は惹かれて土木の道に進みました!
倉方:なるほど。橋も道路も、それからトンネルだったり、一つひとつを見るとバラバラに思えるし、機能も違いますが、ぜんぶ、人の暮らしや風景をつくっているものなんですよね。
寺田:私はこれまで、あまり橋に目を向けたことがありませんでしたが、倉方先生のお話を聴いて、土木の奥深さを知ることができました。また、船から見た印象だったり、街の顔として豪華に飾ることだったり、構造物をデザイン面から注目してみるのも、本当におもしろいことだと思いました。
倉方:特に大阪の橋や道路、鉄道といった交通網などは、昔から東京よりもずっと先進的なんですよ。なので、土木の視点から、大阪の街を見てみるのもすごく勉強になります。
二宮:土木の世界もおもしろいな~、またひとつ、視野がひろがりました。
難波橋
明治45年(1912年)に、市電堺筋線を北浜から天神橋六丁目へと延伸する際に、現在の位置に架けられた。「ライオン橋」の名称で親しまれ、ライオン像や照明塔などの設計は見事で、中之島が誇るランドマークのひとつとなっている。
明治45年(1912年)に、市電堺筋線を北浜から天神橋六丁目へと延伸する際に、現在の位置に架けられた。「ライオン橋」の名称で親しまれ、ライオン像や照明塔などの設計は見事で、中之島が誇るランドマークのひとつとなっている。
倉方:どちらも正解!それから、もう一つ理由を挙げると、例えば今でも、県境や市や町の境目は、川だったりすることが多いですよね?そのような考え方で、陸から来た人を立派な橋で迎えて、「ここからが大阪の中心地ですよ」と示していたわけです。そして難波橋の顔ともいえるライオン像。これは、神社の狛犬に由来していて、この土地を守っているとも考えられます。
寺田:確かに前に立ってみると、すごく特別な印象を受けました。当時の人々がこの橋を前に、「大阪に来たんだなぁ」としみじみしている姿を想像すると、本当に奥が深い橋ですね。入り口のところにベランダのような空間もあって、ここから、水辺を眺めていたんだろうな~。