1910年、大阪市に開設された大阪修成学校。その後、幾度かの校名変更を遂げて、1961年に現在の修成建設専門学校となりました。これまでの歩みには時代ごとの世情が映し出されていますが、一貫してみられるのは「修成」という校名にこめられた建学の理念と、社会が真に必要とする技術者を養成するという教育方針です。それは創立110周年を迎えても、変わる事は決してありません。
大阪府大阪市西区北堀江に、「修成堀江ラボ」を開設した。大阪の流行発信地ながら落ち着いた雰囲気が漂う街で、企業と連携した特別講座、堀江の街でのデザイン演習など多種多様な授業を行っている。
ホテル大阪ベイタワーにおいて開催した。
高校卒・修業年限2年の課程で、学科教育に加え各種建設機械の資格および安全管理上の資格(職長、安全衛生責任者)の取得を目的とした建設エンジニア学科を新設する旨が受理された。
修業年限2年の課程で、「建築技術」と伝統ある軸組み構法を中心とした「大工技能」を持ち合せた人材を養成することを主眼とした木匠学科を新設した。青垣研修センターをベースとする初の学科であった。
建築デュアルシステム科は、若年者の雇用において、高い失業率と離職率、無業者そしてフリーターの増加等、様々な問題が指摘されている状況を受け、若者の就業に結びつく学科として新設された。学内では建築の基礎技術を学び、建築系企業における実習を通じて学ぶことにより、企業が求める即戦力を備えた人材を養成することを目的としていた。
創立100周年事業基本計画「ゆとりある本部校 学科の新設」に従い、「建築技術」と「空間設計により高い習熟度」を求めることにより、建築業界の要請に応えるため、空間デザイン学科を新設した。
帝国ホテル大阪で、創立90周年記念式典・祝賀会を修友会結成60周年祝賀会と合同で実施した。沿革誌を発行した。
二級建築士の受験資格取得者を対象に、修業年限1年の課程で二級建築士合格と、より高度な技術修得を主眼にした専科(2級建築士科)を新設した。
関係者多数の参列の下、新校舎1号棟(旧1号棟から4号棟)の竣工式が行われた。
文部省から平成7(1995)年3月の卒業生から専門士の称号が与えられることになった。
大阪ヒルトンホテルで、創立80周年記念式典および祝賀会が盛大に行われた。 創立80周年記念誌を発行した。
関係者多数の参席の下、青垣研修センター(第二学舎)の竣工式が行われ、記念碑も除幕された。
建築工学科と同様、高校卒・修業年限2年の課程を、女子専修の学科として新設。
これを契機に、建築工学科および土木工学科のカリキュラムの一部も変更され、パソコン教室を新設して本格的なコンピューター教育が始まった。
明治43(1910)年大阪修成学校を創立以来70周年となり、これを記念して、来賓、本校関係者等200名余りの参加を得て、盛大に式典を挙行した。また、昭和15(1940)年に修成学園同窓会(現在の修友会)結成以来40年となり、母校の創立70周年記念式典と合わせて、同窓会結成40周年記念式典を挙行した。
従来、各種学校のみを設置する学校法人は、準学校法人とするよう行政指導されていたが、「準」を付す意義がなくなりつつあるとして申請し、これが認められた。
昭和50(1975)年7月11日公布(法律第五九号)、昭和51(1976)年1月11日施行の「学校教育法の一部改正」による専修学校制度に基づき、大阪府知事から専門学校の認可を受けた。
昭和12(1937)年修成工学校を開校以来35周年となり、これを記念して祝典が開催された。当日は、近畿各高校の先生、保護者、同窓生、教職員など二百数十名の参加を得て祝典を挙行した。
公共性を高めるため財団法人修成学園を解散し、準学校法人修成学園を設立した。
各種申請・届等を、10月11日に一括提出し、10月下旬から昭和30(1955)年5月にかけて大阪府から認可・受理された。正式に申請を提出した月日である10月11日を、学校の再建・存続を願って、創立記念日とした。
入学式には50数名の生徒と通信教育部先生30余名、講師、専任教員等で盛大な開校式をあげ、修成工業専修学校が誕生した。
教育制度の改革に伴い、修成工業学校を高等学校・中学校に変更した。
大阪府教育指導課の斡旋で、修成工学校は財団法人花川工業学校と合併して、財団法人修成工業学校と名称を改め、5年制の工業学校に昇格した。
3ヵ年制で実地本位に教育するように変更した。さらに、校名を修成工学校と改める件を大阪府知事に申請、認可された。
西日本に猛威をふるった室戸台風によって、本校も校舎全壊という被害をうけた。やむなく一時休校とし、学校の復興に尽力した。しかし、時を得ず、休校状態は約2年余り続いた。
当時の中学校は義務教育ではなく、世の中は不況時代で進学する者は少なかった。しかしその反面、青少年の向学心は強く、働きながら学ぶ苦学生気風が旺盛な時代であったので、大阪修成学校への入学生数は順次増加し、学校の内容も次第に整備されてゆき順調に発展した。
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